’微笑みの国”タイ王国

タイ王国の概要

タイ王国(Kingdom of Thailand)は、東南アジアのインドシナ半島に位置する立憲君主制国家です。南北に細長い国土を有し、中部の経済都市バンコクに首都を置いています。

人口約7,000万人、平均年齢40,1歳、国内総生産(GDP)約5,000億ドルと世界26番目、ASEAN諸国2番目の経済規模を誇ります。地理的優位、南国特有の気質、ホスピタリティの高さなどが人気を呼び、年間約4,000万人の外国人観光客が訪れる世界屈指の観光立国として知られています。また、数多くの工場団地が整備され、ASEAN域内最大のエレクトロニクス産業、自動車産業の生産拠点であり、また中国に次ぐ世界第2位の日系企業の集積国でもあります。

古来より東西交易の拠点として発展し、インドや中国の影響を受けつつ多様な文化に適応し、近現代においても巧みな外交戦略で東南アジアでは唯一植民地支配を受けず、長い王朝の歴史を持ち、独自の躍進を見せる中進国タイの最新事情を詳しく解説します。

 

タイの地理・気候

タイはインドシナ半島の中央部にあり、面積は51万4000平方kmです。日本の約1.4倍に相当。北部はラオス、東部はカンボジア、西部はミャンマー、南部はマレーシアに接しています。南北の長さは約1,860kmに及び、国土は首都バンコクと76県からなりますが、地理的、風土的な特徴により北部、北東部、東部、中部、南部の5地域に分けられます。

バンコク都のスクンビットエリアアソークプロンポントンローエカマイ)及び、首都に隣接するチョンブリ県シラチャー区には数多くの日系企業の駐在員が暮らしており、それぞれに日本人学校があり日本人街を形成しています。

北部主要エリア

  • チェンマイ
  • チェンライ
  • ランパー
  • スコータイ
  • ピッサヌローク

東北部主要エリア

  • イサーン
  • ウドーンターニー
  • コーンケーン
  • コラート
  • ウボンラチャタニ

東部主要エリア

  • パタヤ(チョンブリー)
  • トラート
  • ラヨーン(サメット島)
  • チャンタブリー
  • サケーオ

中央部主要エリア

  • バンコク
  • サムットソンクラーム
  • アユタヤ
  • カンチャナブリー
  • ホアヒン

南部主要エリア

  • プーケット
  • サムイ島
  • クラビ
  • スラーターニー

タイの気候は熱帯モンスーン気候であり、年間平均気温が約29度と1年中温暖な気候が続きます。季節は3月~5月の暑期、6月~10月の雨期、11月~2月の乾期と三つに分けられます。南部のマレー半島、北部の山岳地帯、東北部の高原地帯では気候が多少異なります。

 

タイの政治

1932年に絶対君主制から立憲君主制に移行し、国王を国家元首と定めながらも国政の最高責任者は首相としています。タイの国是は、歴代憲法が一貫して掲げている「国王を元首とする民主主義政体」であり、国王は崇敬され神聖な地位に在り、「何人も侵すことができない。何人も、いかなる方法によっても国王に責を問い、あるいは訴訟を提起することはできない」と規定し、不敬罪を定めています。憲法における国王の権能は、権威・権力・資力に加え、タイ王国軍の統帥権を持つ大元帥の地位を有します。

1932年以降の立憲民主制への転換から現在まで、19回もの軍事クーデターが発生し約53年間も軍が政権を担っており、それに反対する大規模な反政府デモが多く、内政が不安定であると言えます。そのため、国論を2分するような重大局面に当たっては国王が調停者として事態収拾の方向を指し示す高次の調整機能を行使してきました。本来の立憲君主制では国王は政治に介入しないのが原則ながら、タイ国王は時に憲法を超越して政治に影響力を及ぼすことが可能な存在です。このようにタイは“特殊な立憲君主制”と言えます。

 

タイの経済

タイは高原と平野が国土の大部分を占めており、”アジアの穀庫”と呼ばれるほど伝統的な農業国として知られており、世界第14位の農産物輸出国です。主な輸出品目は米、天然ゴム、キャッサバ、エビ、チキンなどで、農林水産業は依然として国民経済を支える主要産業であり、経済活動人口の約5割が農林水産業に関係しています。

一方で、サリット政権時代の1961年から政府により工業化政策が始められ、民営主導型の経済開発で工業国への道を歩み出します。投資委員会(BOI)を設置し外国投資を促進した結果、工場団地が整備され、ASEAN域内最大のエレクトロニクス産業、自動車産業の製造業生産拠点へと発展しました。また、中国に次ぐ世界第2位の日系企業の集積国でもあり、バンコク都やチョンブリ県をはじめ各所で日本企業が進出しています。

2021年現在、タイは世界的には中進国、ASEAN諸国の中では先進国に分類されていますが、高齢化による労動力不足や、輸出依存度の高さ、更には経済成長が停滞し先進国入りが出来ない「中進国の罠」など、諸問題を抱えています。2015年に打ち出した長期ビジョン「タイランド4.0」では、2036年までに1人あたりのGDPを13,000ドルまで上げることで、中進国の罠を脱却し、高所得国の仲間入りを目指す目的を掲げています。

 

タイの歴史

            • 1240年

              スコータイ王朝の成立・タイ族による初の統一国家が誕生

              雲南方面から南下してきたタイ族が自らの王朝を設立。3代目君主のラムカムヘーン大王の治世中に領土を拡大し全盛期を迎える。

            • 1351年

              アユタヤ王朝の成立

              始祖ラーマティボディが建国。1569年にはビルマ遠征軍の攻撃を受けて首都アユタヤは陥落し、15年間ビルマの支配下に置かれるがナレースアン大王が独立を回復。17世紀に全盛期を迎え、ヨーロッパとも活発に国交を結び日本町も発展し山田長政らが活躍した。

            • 1767年

              アユタヤ王朝の滅亡

              コンバウン朝ビルマ(現ミャンマー)の侵略により首都アユタヤが陥落し、王朝終焉。

            • 1768年

              トンブリー王朝の成立

              中国の潮州系タイ人・タークシン王(鄭昭)がビルマを撃退し、トンブリー王朝を創設。

            • 1782年

              チャックリー王朝の成立

              タークシン王を処刑したチャオプラヤ・チャックリーが王朝を創設しラーマ1世に即位。首都をバンコクに置き、現在まで続き10代の歴王が名を連ねる。別名ラッタナーコーシン王朝。

            • 1855年

              ボウリング条約締結・王室独占貿易の終焉

              ラーマ4世がイギリスとの通商条約ボウリング条約を結び、タイが近代国際法秩序を前提とする世界貿易体制に編入されるきっかけとなる。王室が独占していた貿易を一般商人に開放し、米輸出が解禁されやがて無人のチャオプラヤー・デルタをタイ最大の穀倉地帯へと変貌させる。以降、タイは同様の条約をアメリカ、フランス、オランダなど西欧諸国と締結していく。

            • 1868年

              ラーマ5世即位・チャクリー改革着手

              チュラロンコーン大王(ラーマ5世)が即位。近代化政策のチャクリー改革を行い、西洋を手本に国内の交通・通信を整備、教育制度や官僚機関の整備、軍隊改革、奴隷解放など進め中央政権的な絶対王政による支配基盤を整えた。以降、”近代化の父”と称される。

            • 1896年

              英仏宣言によるタイの緩衝国化

              イギリス領インド帝国、イギリス領マラヤとフランス領インドシナの緩衝国としてタイの独立保障する約束が締結される。その後も東南アジアで唯一、植民地化を免れる。

            • 1917年

              第一次世界大戦

              当初中立の立場だったタイは、アメリカが参戦し勝敗の見通しがつくと、連合国側に立って参戦。ベルサイユ講和会議には戦勝国として出席しその国際的地位を高めた。国旗を青・白・赤の3色からなる現在の3色旗に定める。

            • 1932年6月

              立憲革命・絶対王政の終焉

              官僚のプリーディーと軍人のピブンらがクーデターを決行し、王族の一人を人質にラーマ7世に立憲政体の実現を迫った。タイ立憲革命は無血で成功しプリーディが起草した新憲法に国王が署名し、絶対王政から立憲君主制へ移行した。

            • 1939年6月

              国名がシャムからタイに変更

              首相ピブンが国家信条により国名を「シャム」から「タイ」へと変更。

            • 1941年12月

              日タイ同盟条約を締結

              太平洋戦争中に日本軍がタイ領に侵入。同盟条約を締結し同盟国となった。

            • 1945年8月

              日本がポツダム宣言受諾

              日本軍が降伏し第二次世界大戦は終結。事実上枢軸国だったタイは宣戦布告無効宣言を行い、アメリカはその宣戦布告を不問とし戦争責任は問わないことになった。

            • 1952年4月

              タイ日本の国交回復

              サンフランシスコ平和条約発効と同時に、日本の吉田茂外務大臣と在日タイ外交使節団のサガー公使は文書を交換し、両国の国交再開及び大使館再開を確認。

            • 1967年8月

              バンコクでASEAN成立

              バンコク宣言によりASEAN(東南アジア諸国連合)が成立。原加盟国はインドネシア、マレーシア、フィリピン、シンガポール、タイ。

            • 1992年5月

              暗黒の五月事件

              軍事クーデターで新首相となったスチンダーとそれに反発し民主化を望む人民が対立が発生。国王ラーマ9世は武力衝突を憂慮し、スチンダーと民主化運動の指導者チャムロンを王宮に呼び寄せ、政敵同士を跪かせて仲裁しカリスマ性を示した。

            • 1997年7月

              タイバーツ暴落によるアジア通貨危機

              変動相場制移行に端を発しタイ通貨バーツが暴落。アジア各国に急激な通貨下落が広がり、金融危機・経済危機が起こる。

            • 1999年12月

              高架鉄道BTS開通

              バンコク初の都市鉄道BTSが開通。

            • 2001年

              タックシン内閣成立

              警察官僚及び起業家出身のタックシン・チナワットがタイ愛国党を創設し、タクシン党首を首班とする新内閣が成。タイ王国第31代首相に就任。国内需要喚起と外資誘致による輸出促進、大規模公共事業、社会保険制度改革、麻薬撲滅等の諸政策を大胆に実施して支持を集め、タイ近代政治史上初の任期を全うした公選首相となった。

            • 2004年7月

              地下鉄MRT開通

              バンコク初の地下鉄MRTが開通。12月にスマトラ沖地震の発生でプーケットやカオラックを中心に被害を受ける。

            • 2006年9月

              軍事クーデターによりスラユット内閣成立・新国際空港の開港

              タックシン一族によるシン社株式売却に端を発し反タックシン運動が活発化し退却。ソンティ陸軍司令官が率いる国軍がクーデタを決行しスラユット内閣が成立。以降、タイの政治対立が続くきかっけになる。同月、スワンナプーム国際空港が開港。

            • 2010年5月

              暗黒の土曜日

              タックシン元首相を支持する市民ら約10万人の抗議デモが発生し、バンコクに非常事態宣言が発令。5月にアピシット首相の指示の下、国軍による武力弾圧で2,000人以上の死傷者を出した。

            • 2014年5月

              プラユット陸軍司令官がクーデターを決行

              プラユット陸軍司令官が軍事クーデターを決行し政権を掌握。1932年の立憲革命以来、19回目のクーデターとなった。8月には国王ラーマ9世の任命を受け、正式に第37代首相に就任。

            • 2016年10月

              ラーマ10世が新国王に即位

              在位70周年を迎えた王ラーマ9世が10月に崩御。第1王子ワチラロンコン王太子がラーマ10世として国王に即位。2019年5月に新国王の戴冠式が国を挙げて執り行われた。